安倍なつみコンサートツアー2006春〜おとめちっくBANK〜について その1

長文で何回かに分けて書きそうな予感がするのでイキナリその1ですw 先日の静岡公演で無事千秋楽をむかえたなっちの2006春コンですが、全22公演中10公演を見に行きました。 なちあや派と言ってる割にはあややコンの半分にも満たない公演数しか見ていないですが、これにはワケがありまして… まずはそこから。 めちゃくちゃ長いです。


□なぜあややコンの方に惹かれたのか
なっちコンとあややコンって同じハロー!プロジェクト仲間のソロコンサートではあるけど、この春のコンサートについて言えば方向性が180度違います。 この違いはアーティストのスキルやキャラクターうんぬんというよりは制作サイドの演出における方向性に起因しているように思います。


なっちコンは見た人ならわかりますが、細部まで考えた演出を拠り所にステージを構成していました。 もちろん例外もありますが、MCも含め、ガチガチと表現してもいいくらいの演出がされていたと思います。 MCは一見フリーに話しているように見えましたが、なっちが本当にフリートークしている場を見たことある人なら、あの声のトーンで抑えてしゃべっているのがわかったはずです。(だからこそ千秋楽の最後のMCの赤裸々な告白は衝撃的ともいえました。)


春コンを象徴する曲のひとつとして「エレベーター二人ぼっち」があげられます。 なっちは歌のフリの範疇を超えた、ひとり芝居ともいえる演技をしながら歌いました。 小道具のソファーや凝った照明などで印象的な場面のひとつでしたが、立ち位置まで細かく決められていたからこそ可能な演出です。 純粋に歌声というものを捉えると、どこに立って歌おうが関係ありませんが、そこになんらかの演出を加えて、より歌の世界を魅力的に見せよう聴かせようとするのは歌い手の生身の姿が見えるコンサートという場を考えれば当然かもしれません。 


この曲のように、演出された要素で構築した世界というのは、その演出が理想とする姿があるはずです。 そしてその理想の姿からはずれることは決して良いことではありません。 単純に言うと立ち位置を間違えたら即NGだし、照明のタイミングがずれたらぶち壊しです。 
そして、このような世界というのは舞台を作り上げている人達が熟練してくればくるほど質的に均質になっていかざるをえません。 どんどん理想に近づいていくわけですから。 具体的なビジョンがあったかどうかは不明ですが、ある枠組みの中でスキルのある人達が目標を持って努力すればそうなるのは必然でしょう。 


一方のあややコンは一言で表現すれば「わがまま」です。 もちろんベースとなる演出はありますが、歌そのものも含めてすべてあやや自身が支配しているように見えます。 公演毎にコロコロと変わる歌い方や、適当に会場の声を拾いながらのMC、ふざけているように見える共演者とのやりとり等々、誰かの筋書きがあるようには見えません。 すべてはあややの気分次第です。 松浦亜弥という人は以前からこういう傾向がありましたが、この春コンではそれが顕著に出ているように思えます。 そして重要なのは、あややの気分が客席にダイレクトに伝わってくる(気がする)ところです。 エンディングの多幸感などはあやや自身が楽しそうだから、と言ってもよいでしょう。 
自由気ままで枠組みがない(あるいはおおざっぱな枠組みしかない)状態なので、振り幅は360度自由自在です。(歌詞まで自由自在なのはアレですがw) コンサートが始まってみるまでどうなるのかさっぱりわからないワクワク感があります。


方向性の違いなので優劣は関係ありません。 理想に向けてどんどん魅力的な表現を身につけていくなっちと、昨日は最高だったけど今日は最低かもしれないあやや。 元々ライブ大好きで演出が最重要ともいえる演劇方面にはあんまり興味がないせいもあってか、どうしてもあややの方に惹かれてしまいます。 単純に歌手としてはなっちもあややも同等に好きですが。


次回「ゲストのかおりんについて」につづくw